稲生川が完成したあと、傳の息子の十次郎が、将来の水不足を予想して、もう1本用水路を引こうと計画しました。そのために鞍出山に穴堰を掘っていたのですが、明治維新など、いろいろな出来事があって完成させることができませんでした。
そのときに掘った穴堰が未完成のまま今は使われずに残っているために、水が通っていない幻の穴堰となってしまったのです。
今では長い年月が経っていて、穴堰がくずれるおそれがあるため、中に入ることはできません。
幻の穴堰を使った用水路は完成させることができませんでしたが、昭和12年からはじまった国の三本木開拓建設事業で20年かけて、もう1本用水路を通しことで多くの土地に田んばをつくることができるようになりました。
十次郎が考えていた用水路を100年ほど後に、やっと完成させることができたのです。