稲生川には1,620mの「天狗山トンネル(穴堰)」と2.540m「鞍出山トンネル」の2つのトンネルがありますが とくに天狗山トンネル出口は近くで見学できるポイントです。
トンネルは工事の難所の一つて、当時は横穴を使つた工法がとられました。
新渡戸十次郎の第二次上水計画により慶応2年(1866年)に掘られたトンネル(穴堰)。
十次郎が慶応3年に亡くなったため完成していません。内壁には当時の工具による掘り跡などが残っています。
※現在「幻の穴堰Jは、封鎖されています。
安政3年(1856年)穴堰工事の安全を祈って稲生川の工事技術者たちが建てた石碑です。
「山神」(やまのかみ)の文字の下には頭取の吉助をはじめとする技術者たちの名前が刻まれています。
「巫女塚」と呼ばれるこの場所では、稲生川は道路から5メートルも高く築かれた石垣の上を流れています。
山の斜面に沿わせる形に盛り土して水路を形成する「片堤」の工法が取られており、稲生川工事の一番の難所と言えます。
三本本原台地の入口にあたる地点で、稲生川は急に高くなった地盤をえぐるように10mも掘り下げたところを通っています。
また、この場所で国営用水路(写真向かって右)が稲生川に合流しています。
稲生川と奥州街道(旧国道4号)が交差する場所に「稲生橋」があります。
万延元年(1860年)三本木原開拓の視察に訪れた盛岡藩主・南部利剛公が、新しくできた用水路と橋と町に「稲生」の名を与えました。
明治4年(1871年)9月27日、新渡戸偉は三本木で亡くなり、この大素塚に埋葬されました。(享年79歳)
その後、向かって左には長男・新渡戸十次郎、右には孫 新渡戸稲造の基が分葬により建てられました。
新渡戸記念館は、農学・法学博士、新渡戸稲造が三本木(現十和田市)の文化向上のため寄贈した約8000冊の蔵書を収めた「私設新渡戸文庫」(大正14年・1925年創設)を前身に、昭和40年(1965)開館。新渡戸三代(傳、十次郎、七郎)はじめ地域の先人による三本木原開拓の資料と伝来の甲冑や兵法資料、稲造の遺品、蔵書などを展示。十和田市は三本木原開拓をルーツとし、この地を拓いた新渡戸家の開拓精神、武士道精神を受け継いで、稲造は「われ太平洋の橋とならん」の志で世界に羽ばたいた。記念館はその精神を受け継ぎ、「世界に通ずるわたしたちのローカル記念館」を目指して、博物館としての機能を活かし、地域の歴史と文化に根ざした人づくり、地域づくりの拠点となるべく活動している。
稲生川の農業用ため池を活用した一本木沢ビオトープは、多様な生物の生息環境となっています。ここでは一本木沢ビオトープは協議会が外来魚駆除調査などによる環境の保全と自然教育活動を行っています。
稲生川の改修工事は、国や県の事業で進めらましたが、整備された稲生川のあまった土地を利用し、十和田市の佐井幅から西十一番町までの間3.6kmを、地域の人たちが水と親しんでもらえるよう「稲生川ふれあい公園」として整備しました。
歩行距離:19.4km
所要時間:約4時間10分
男性:約27,000歩
女性:約33,000歩
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歩行距離:7.7km
所要時間:約1時間36分
男性:約11,000歩
女性:約13,000歩
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歩行距離:6.4km
所要時間:約1時間19分
男性:約9,000歩
女性:約11,000歩
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歩行距離:4.3km
所要時間:約54分
男性:約6,000歩
女性:約7,400歩
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歩行距離:1.4km
所要時間:約18分
男性:約2,000歩
女性:約2,400歩
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