太素塚(たいそづか)

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三本木原に人工河川・稲生川を上水し、碁盤の目状の都市計画を行った新渡戸三代(傳・十次郎・七郎)をはじめとする開拓の先人と、開拓精神を受け継ぎ世界で活躍した新渡戸稲造博士(十次郎の三男)をまつる墓所です。慶応2年(1866年)傳は自筆の墓石「太素塚」を立て、明治4年(1871年)9月27日78歳で亡くなり埋葬されました。十次郎、稲造の分葬墓、開拓功労者の顕彰堂などが整備され、大正14年(1925年)稲造は地域文化向上のため、蔵書など8000点を寄贈して、ここに「新渡戸文庫」を開設しました。この貴重な資料は昭和56年(1981年)市指定文化財となっています。

墓所むかって右にある位牌堂「顕彰堂」には、開拓に携わった新渡戸家の方々の他、稲生川工事の総頭取を勤めた吉助や、大口の出資者として功績が大きかった蛇口伴蔵氏、金崎環氏などの位牌がまつられ、5月3~5日の太素祭、元旦の元朝参りの年2回、扉を開けて参拝をお受けしています。

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中央が太素塚、その右に昭和8年(1933年)孫 新渡戸稲造の墓が、向かって左には昭和29年(1954年)長男・新渡戸十次郎の墓が、それぞれ分葬により立てられました。(十次郎墓は盛岡市久昌寺にある墓からの分葬、稲造墓は遺髪を分葬したもので、遺骨は東京の多磨霊園に埋葬されている)

太素塚の稲造墓は、墓石などほとんどが親戚や稲造の弟子など関係者の寄進により整備されており、代表的なものを上げれば、稲造墓の石の門柱は万里夫人の実家エルキントン家(アメリカ・フィラデルフィア)よりの寄進、香炉は稲造を晩年精神的に支えた山形の尼僧佐藤法亮尼の寄進、花立は稲造博士より支援を受けて三味線学校の創設や三味線五線譜の普及に努めた杵家弥七氏による寄進となっています。

  • 会長挨拶
  • Kyosokyodo(共創郷土) -人と自然が共に創る郷土- 十和田市立新渡戸記念館ボランティア
  • 十和田市立新渡戸記念館
  • 水土里ネットいなおいがわ
  • 稲生川せせらぎ活動委員会
  • 一本木沢ビオトープ協議会
  • 未来遺産運動